戦後復興もままならない頃の昭和22年に、近鉄で座席指定の特急運転が開始されました。このときに用意された車両は2200系(2227系)で、上半分をレモンイエロー、下半分をダークブルー(初期は水色)の専用色に塗り分けられ、窓ガラスも全て入れられるなど、復興を印象づける完全整備車として颯爽と登場しました。
昭和24年にはデトニ2300を改造した特別車レクリエーションカーが加わりましたが、いずれも改造車に過ぎません。
待望の新車はようやく昭和28年に登場しました。2250系の19両で、Mc-T-T-Mcの4両編成を基本としており、足りない1両は元貴賓車サ2600を改造して使用しました。
昭和32年には船舶用の機器を流用して冷房改造が行われましたが、本格的な特急車である10100系,10400系,11400系が続々と増備されるに従い、昭和35年に一部のTをTc化して2連化、さらに3扉化のうえ急行用に格下げ改造がなされました。
晩年は名古屋線や志摩線のローカル運用に使用されていましたが、昭和58年までに一般運用から離脱して鮮魚専用車や牽引車などに再転用、最後は2両が東大阪線(現けいはんな線)7000系の回送用として平成10年まで生き残りました。
さて、これら旧特急車ですが、アダチやモデル8より2200系や2227系が、また谷川より2250系がそれぞれ発売されています。
計算上若干パワー不足と思われ、実際にあったか疑わしいのですが、レクリエーションカー+旧貴賓車+2250系の6連にしてみました。
レクリエーションカー2303と旧貴賓車2600はアダチのキット組です。2303は晩年アンチクライマーと幌を撤去した姿にしました。
また2600はベンチレータの配置と大きさが違っているので、修正しています。大型のカマボコ型ベンチレータはモデル8のパーツですが、他の同社製パーツと同様、市場在庫は殆どありませんので再生産が望まれるところです。
一方2250系は原型4連、Mcは両運転台仕様でしたが、たまたま手持ちにHゴムの正面パーツがあったので、大阪側のMcを片運の3次車に改造しいずれも冷房改造前の姿としています。
台車はなぜか国鉄型のDT-16が同梱されていましたが、1次車の両運McはFS-11なので、カツミの東武用FS-10に換装、2両のTはDT-16の台枠穴を埋めてKD-5に似せ、3次車の片運McはKD-15なのでオシ17用のTR-53を流用しました。
動力は元々パワトラ仕様ですが、両運McをLN-14+MPギアに改造しました。床下機器は同梱されていますが、他形式の流用パーツが多いので、一部交換、配列も変更しています。