460系は木造車の淘汰を目的に、昭和30年に260系(←デボ61型)等の鋼体化改造で誕生しました。これに先立つ昭和23年に車両故障により下り勾配でノーブレーキ状態になった列車が、先行列車に追突、大破するという痛ましい事故(花園事故)が発生しました。追突した車両3両が全て木造車(デボ1型)であったことも被害を拡大させた要因の1つでありました。この対策として各線に残る木造車の台枠、機器等を流用して車体を鋼体化させる工事が進められました。
(事故と同型の
デボ1、デボ19型→200系は鋼体化改造の対象外で、事故後主に京都、橿原線系で使用されましたが、輸送需要の逼迫により廃車が遅れ、昭和39年まで木造車のまま生き長らえ廃車となりました。)
460系は前述の通り種車デボ61の台枠、機器を流用しているほか、窓枠、扉も流用のため、デボ61型の側面窓割りがそのまま残っています。但し正面は円形状からほぼフラットな形状に変更され、乗務員室扉も新設されました。改造当初は非貫通2枚窓でしたが、途中から連結を考慮した貫通扉が取り付けられたタイプに変更されました。
このように改造された460系ですが、機器は古いままであったため昇圧改造の対象から外され、昭和44年の昇圧時に全車廃車となりました。
さてモデルですが、MIKIのキット組です。この車種は同社から床下機器が別売(現在入手困難)されていますが、殆どエコーのパーツを使用し、自作したのは主制御器本体だけです。なお、パンタグラフは串碍子タイプのロスト製台枠が同梱されており、フクシマのPT-42の上枠を流用して組みました。
キットは2両ともパンタ位置が連結面寄でしたが、種車は奇数車が一部先頭寄(=奈良寄)にパンタを移設しているので、非貫通車をこのタイプに改造しました。動力はCN-16+FMギアの組み合わせで片台車駆動としました。